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TAKUのプロフィール

創業100年の超安定企業に新卒入社。しかし1年目で会社に縛られた生き方に疑問を抱き、副業でブログを実践。開始3ヵ月目で副業収入が会社の給料の2倍に到達。自分の好きなヒト・コトを最優先で大切にできる人生を歩み始める。

現在は世界30ヵ国以上を旅しながら、各地の絶景写真を撮影。「旅するように生きる」をコンセプトに、メディア運営やブログ起業のコンサルティングを通じて、自由な生き方を叶える方法を発信中。

NAME

TAKU(たく)

BIRTH

1993年生まれ、千葉県出身。

HOBBY
  • 絶景をめぐる旅
    『死ぬまでに行きたい!世界の絶景』全部行きます!
  • 温泉・秘湯
    にごり湯&硫黄泉&雪見露天風呂マニア♨️
  • 写真・カメラ
    移りゆく空のグラデーションをいつまでも眺めてたい。
    朝焼け・夕焼け・星空を追いかけてます☆彡
  • 好きな音楽
    邦楽だとMr.Children「終わりなき旅」、レミオロメン「スタンドバイミー」、UVERworld「endscape」、YUKI「歓びの種」
    洋楽だとColdplay「A Head Full of Dreams」、Nico & Vinz「Know What I’m Not」、Klingande「Jubel」などなど
  • 外国の言葉
    普段は英語とフランス語でコミュニケーション
    現地の人と友達になるのも旅の醍醐味♪
  • 映画鑑賞
    『LIFE!』に出てきたロケ地が絶景すぎてアイスランドへ
    『グレイテスト・ショーマン』は何度勇気をもらったことか…
  • 好きな食べ物・飲み物
    タジン、フォーガー、インカコーラ、シードル
TRAVEL

≪国内≫
北海道、青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、富山県、石川県、福井県、山梨県、長野県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、(鳥取県)、島根県、(岡山県)、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、(鹿児島県)、沖縄県

👆( )はこれから旅する場所


≪海外≫
韓国🇰🇷、フィリピン🇵🇭、カンボジア🇰🇭、ベトナム🇻🇳、タイ🇹🇭、マレーシア🇲🇾、シンガポール🇸🇬、インドネシア🇮🇩、オーストラリア🇦🇺、イギリス🇬🇧、フランス🇫🇷、スペイン🇪🇸、ベルギー🇧🇪、オランダ🇳🇱、ドイツ🇩🇪、オーストリア🇦🇹、スイス🇨🇭、イタリア🇮🇹、ギリシャ🇬🇷、アイスランド🇮🇸、デンマーク🇩🇰、フィンランド🇫🇮、エストニア🇪🇪、クロアチア🇭🇷、ハンガリー🇭🇺、ボスニア・ヘルツェゴビナ🇧🇦、ロシア🇷🇺、アメリカ🇺🇸、カナダ🇨🇦、エルサルバドル🇸🇻、ボリビア🇧🇴、ペルー🇵🇪、アラブ首長国連邦🇦🇪、モロッコ🇲🇦、マダガスカル🇲🇬、エチオピア🇪🇹

👆 行きたい場所はありすぎるので書ききれません(;´・ω・)


★おススメスポット★
≪国内≫
・雲の上で目覚める朝なら霧の郷高原
・濁り湯の雪見露天風呂なら400年の秘湯高湯温泉

≪海外≫
・もはや定番だけど人生に2度は行くべしウユニ塩湖
・満点の星空で砂漠の民と語らうメルズーガ大砂丘

などなど!!

CONCEPT

「人生を旅するように生きよう」
“Travellin’ Life”

僕はいま、カメラを片手に世界中を旅してまわっています。

「人生を旅するように生きたい!」そんな想いからスタートしたいまの生き方。でも、はじめから理想の人生を送っていたわけではありません。

どうして僕が旅するように生きようと思ったのか。どのように自分の叶えたい生き方を実現させたのか。その裏側を少しだけお話しさせていただきますね。

創業100年の超安定企業に就職

創業100年の超安定企業に就職

昔の僕は、自信も勇気もない、どちらかというと引っ込み思案な人間でした。

小学生の時は教室で遊ぶクラスメイトを横目に、1人で校庭を散歩するような子でしたし、中学生の時は部活の雰囲気に馴染めず、裏道からこっそり帰るような幽霊になりかけのヘボ部員…。

当然、クラスの人気者になることも、試合で活躍することもありませんでした。

自己肯定感がすごく低かったので、自分の好きなアーティストや趣味の話はもちろん、正直に感じた気持ちや考えを人に話したり、行動に移したりすることをすごーく恥ずかしく感じていました。

そんな昔の僕が拠り所としたのは、一生懸命に勉強をして、いい成績をとって、できるだけ偏差値の高い高校や大学に行って、有名企業に就職することを「正しい道」として頑張る生き方でした。

テストや試験で他の人よりも良い点を取れば、先生や親も褒めてくれます。

特技が無くても、外見がフツーでも、成績で1位を取ればクラスの視線が集まります(一時的ですけど)。

今から思えばとても残念なことですが、当時の僕にとって「勉強」ができることが唯一の自己肯定だったんです。

こうして僕は「勉強して偏差値を上げて、高校は公立に、大学は国立に進学すれば親に負担をかけないで済む」「有名な国立大学に行けば安定した大手企業への就職と将来の安泰につながるはず」と信じて頑張ってきました。

その甲斐もあってか、就職活動は順調に進み、第一志望だった創業100年の超安定企業に入社することになりました。

その当時は、終身雇用が約束されたような会社に内定をもらい、喜んでくれた家族の様子を見て「これまで頑張ってきてよかった…」と報われたような気持ちになったのを覚えています。

そして、社会人という新たな人生のステージに期待を膨らませながら、東京での新しい暮らしをスタートさせました!

しかし…、そんなうきうきした気分でいられたのは束の間。

会社で働く日々が始まると、自分が目標にしてきた「正しい道」とは一体何だったのか、あっという間にわからなくなっていってしまったんです。

会社で働く日々に感じた絶望

会社で働く日々に感じた絶望

会社勤めの毎日は、刺々しい感情でいっぱいの満員電車からはじまります。

身動きの取れない車内で突き飛ばされたり、新しく買ったお気に入りの靴を思いっきり踏まれたり、耳元でわざとらしく舌打ちをされたり…。

誰もが一度は経験したことのある都会の異常な日常です。

朝から疲れた気分で会社に到着すると、今度は上司や先輩の顔色を伺う時間が待っています。

当時の通勤時間は往復2時間。会社にいる時間を合わせると毎日12時間以上会社に縛られている毎日でした。

そんな中でも、僕はできるだけ残業しなくて済むようにと、日中は一心不乱にデスクに向かって仕事をこなし、早く帰れるように心がけていました。

しかしこの行動が悪目立ちしてしまったのか、上司には他の同期と比べて残業時間が短いことをネチネチと指摘されたり、先輩からはヒマだと勘違いされ嫌味を言われるようになってしまったんです。

「思い描いてた社会人生活はこんなんじゃない。」

昔の僕が「正しい道」として目標に掲げてきた安定的な生活に疑問を感じ始めていた年末のある日。

20年間一緒に暮らしてきた祖父が亡くなります。

突然の知らせに、本当に落ち込みました。

子供の頃を振り返ると、祖父は祖母と一緒に僕を毎年北海道へ連れて行ってくれた思い出がよみがえります。

それも飛行機ではなく、往復約2,000kmという道のりを一人で運転。実家から北海道までの道中で日本の色んな地域もめぐるワクワクしっぱなしの旅でした。

この旅こそ、今の僕にとっての旅の原点

祖父は僕に旅の素晴らしさを教えてくれた大切な人だったんです。

祖父がいなければ、世界中を旅する今の自分は存在しなかった。

そう言い切っていいほど、祖父はかけがえのない存在でした。

でも、どんなに悲しい出来事が起こっても、日常は進んでいきます。

悲嘆にくれる暇もなく、葬儀の準備や親戚対応など、やらなければならないことは沢山。仕事を早く切り上げて実家に直行する日が数日続きました。

そして喪中の正月が明けた年始最初の出勤日、上司から会議室に呼び出しをくらった僕は衝撃を受けます。

それは呼び出しの内容が「祖父が亡くなった月の労働時間が少ない」という注意警告だったからです。

もちろん長年一緒に暮らしてきた祖父が亡くなったことや葬儀の事情については、上司にも報告してありました。

にもかかわらず、話の中では祖父の逝去について一切触れられず、「忙しい年度末に向けて計画的に業務を進めることもできないのか?一体何を考えてるんだ?」という詰問があるのみだったんです。

あまりに一方的な話の進め方に、色々な怒りや感情が体中を駆け巡って、血が沸き立つような思いがしました。

「長年ともに過ごした祖父とゆっくり最期のお別れをすることもままならないのか…」

会社にとって個人の事情や心情は、大切な家族の死であっても二の次。

その事実は、僕の胸に深く突き刺さり、会社で働く毎日に対する絶望的な気持ちが広がっていきました

自分でコントロールできない自分の人生

自分でコントロールできない自分の人生

この出来事があってから「自分の人生が会社によって規定されている」という感覚が日増しに大きくなっていきました。

祖父が亡くなって呼び出しを受けるまで、上司や先輩に理不尽なことを言われても「組織の中では自分を抑えるべきだ」と自分に言い聞かせてきました。

そして「社会とはこういうものだ」という一種の諦めを持つことで、日々のストレスをやり過ごしてきました。

でも、もう我慢の限界でした。

「家族に何かあった時、すぐに駆け付けたい」
「最期を迎える家族のそばに、できるだけ長くいてあげたい」

それだけのことが、会社や上司の顔色を気にせず自由に行動できないだけでなく、家族と過ごした時間分を「勤務時間」として働かなければ「問題」として取り上げられる。

そんな環境に息が詰まるような思いがしたんです。

祖父が亡くなった当時、僕は会社に合わせて選んだ、実家から離れた地域に住んでいました。

そのため、家族から容態急変の知らせを受けて大急ぎで向かったものの、祖父が息を引き取る瞬間には間に合いませんでした。

もしあの時、会社に縛られない生き方をしていたら、お世話になった祖父に「ありがとう」の一言を伝えることもできたかもしれない。

今となっては後悔しても仕方がないことですが、「こんな思いは二度としたくない」と、心の底から思いました。

会社の場所に合わせて住むところを選択した結果、大切な人の最期を看取ることができず、挙句の果てに会社では勤務時間が少ないと問題視される。

自分の意思で選んだはずの会社での毎日は、いつの間にか立場が逆転して、会社によって自分の住む場所や評価が決まる「会社ありき」の日々になっていました。

僕は祖父の他界をきっかけに、会社中心で自分が大切にしたい人を最優先することができない今の日々は、まさに「自分でコントロールできない自分の人生」そのものだと気づいたんです。

こうして、会社に縛られた生き方ではなく、自分の意思で住む場所や働く時間をコントロールできる生き方が、僕の叶えたい理想の未来になっていきました。

メルマガ登録から始まったブログ起業との出会い

メルマガ登録から始まったブログ起業との出会い

「もう会社に縛られる人生は嫌だ」という感情を抱きながらも、もともと自信も勇気もないタイプの僕には、いきなりサラリーマンを辞めるほどの行動力はありませんでした。

「今の会社を辞めたところで、自分の力で収入を得る術なんて持ってないし、転職しても結局会社に縛られた人生からは抜けだせない…。」

そう悩んだ末、僕はいつでも会社を辞められるように「まずは副業で会社の給料と同じだけ稼げるようになろう!」と考えました。

「でも、1日の中で使える時間は限られているし、バイトやパートじゃ自由な生き方にはつながらない…。」

さらに悩みが深まっていくのを感じながら、自分の叶えたい未来につながる方法を必死で探していたとき、ふと目に留まった若手起業家のメルマガに登録しました。

その起業家さんは副業からビジネスを始め、たった2ヶ月半で月収10万円を達成し、いまでは自由に世界中を飛び回っている方でした。

そのビジネスこそ、ブログ起業だったんです

さらに調べていくと、その起業家さん以外にもブログ起業で脱サラし、PC1台でビジネスを行いながら自由に旅をしてまわっている人が大勢いることに驚きました!

しかも、ほとんどの人が2~3ヵ月程で月収10万円以上を達成、半年~1年程で独立していたんですよね。

でもインターネットを使ったビジネスってなんとなく怪しいイメージがあるじゃないですか。僕も最初はそう思っていました。

でもメルマガやサイトを読み進めるうちに「これほど多くの人が実践して成功しているブログ起業は本物かもしれない…!」と希望を感じるようになりました。

また、ブログ起業で自由なライフスタイルを実現している人は、自分だけでなく家族や友人といった身近な人を幸せにしている方ばかりなんですよね。

僕がビジネスと聞いて勝手にイメージしていた起業家の人物像はどっちかというと「儲かれば何でもいい」「自分さえ得すればいい」というタイプ。

しかし、魅力的なメルマガやSNSの発信をしている起業家さんはみな「身近な人への貢献」を大切にしていました。

「会社に縛られない自由な生き方をすることで家族の存在を大切にしたい」と思っていた僕にとって、「自分が自由な生き方をすることで、周りの人も幸せにしていく」という価値観にすごく共鳴するものを感じたんです。

そう感じた僕は「自分の理想の人生を実現する方法はきっとこれだ!」と思い、ブログ起業に思い切って挑戦することを決めました。

副業で始めたブログ収益は3ヵ月で会社員給料の2倍に!

副業で始めたブログ収益は3ヵ月で会社員給料の2倍に!

正直、ブログを始めた最初の頃は本当に成果が出るのか半信半疑でした。

当時は通勤の満員電車でブログ記事にする内容を考えて、帰宅後に疲れた頭と身体を奮い立たせてなんとか記事を書く毎日。

しかし、寝不足になりながら毎日記事を書いても、最初の2ヵ月は泣けるくらいアクセスが集まりませんでした。

それでも諦めずに続けてこれた理由が、メンターの存在

僕のメンターは最短ルートで成果を出すためのノウハウやテクニックを教えてくれただけでなく、アクセスが伸びない時期には「正しいやり方で淡々と続けていけば必ず成果は出ます!」と力強く背中を押してくれました。

もしメンターの存在なしに独りぼっちでブログを始めていたら、僕は途中で挫折してしまっていたと思います。

そして、メンターのアドバイスや教えてもらったことを素直に実践した結果はというと…。

副業でブログを始めて3ヵ月目に93記事で月収50万円という、当時のお給料の2倍を超える収益を得ることができたんです!

【実践記】初心者ブログ3ヵ月目で月収50万円を達成するまでの道のり

その後はブログ運営の自動化にも取り組み、1ヵ月に1度も記事を書かなくても安定的に収益が出る仕組みを構築しています。

人生を旅するように生きよう!

人生を旅するように生きよう!

ブログ起業に出会い、自分の力で収入を得られるようになってから、僕の人生は一気に明るくなりました。

それは「自分で自分の人生をコントロールできる」という感覚が持てるようになったからです。

会社や上司といった人生の束縛からいつでも解放され時間・場所・人間関係から自由になれるんだ!!!と思えた瞬間、自信と勇気の明かりが心に灯りました。

そんな「時間」「場所」「人間関係」を自由にコントロールできる生き方こそ、僕が思い描いてきた「人生を旅するように生き方」です。

PC1台で始められるブログ起業は、まさに僕の理想のライフスタイルを叶えるのにピッタリの選択でした。

ただ、僕が伝えたい「人生を旅するように生きる」という選択肢は、長い間海外に行くことや目的地を決めない旅に出ることではありません。

「仕事に縛られず子どもと一緒にいる時間を増やしたい」
「生き苦しい都会ではなく緑豊かな地域で暮らしたい」
「他人の言動に心を掻き乱される日々から抜け出したい」

こういった自分の素直な心の声に耳を傾けて、ライフスタイルを自由に選択していける状態こそが「旅するような人生の生き方」だと思うのです。

僕がいま「旅するような人生の生き方」を始めてよかったと思っていること。

それは日々の生活だけでなく「自分のココロまで豊かに温かく満たされていく」ということです。

ブログを始めて時間的にも経済的にも自分の毎日に余裕ができた結果、僕は家族のために使える時間やお金が増えました。

その時間やお金を使って、祖父が亡くなって一人になった祖母と買い物に行ったり、世界各地のお土産を家族にプレゼントしたりすれば、家族の喜ぶ姿を見て嬉しくなりますし、心が温かい気持ちで満たされていくのを感じるんですよね。

「大切な誰かのために自由に人生の選択をできる」

こんなに幸せなことがあるとは思ってもいませんでした。

いま自分の心に灯った幸せの火種を、友人や恋人などもっとたくさんの人と共有していくこと。それが僕の夢です。

『人生を旅するように生きたい』

その願いは決して特別なことでも無謀なことでもありません。いつでも誰でも、あなたが思い立った時から旅するような人生に出発できます。

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